育蜂会 伴勇先生 ご逝去
本校卒業生保護者育蜂会名誉顧問の伴勇先生が101歳の人生を全うされました。伴先生との思い出を本校元教頭大越美智先生が記して下さいました。
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伴先生を偲んで
"お元気ですネ。おいくつになられましたか?"と最近は挨拶には必ず尋ねられる。とおっしゃっていた伴先生―明治、大正、昭和、平成と歴史の生き証人のように101歳の人生を全うされました。
飛行隊員として戦争に行かれ、"幸運というのは紙一重"多くの危険をくぐり抜け"生か死かの中を生かされ"(本人談)、ようやく辿り着き、落ち着いた地は郡山でした。出身の岐阜とは縁もゆかりもない、ほど遠い地。
戦後の郡山で「伴鉄工所」を開業、昭和57年まで代表取締役を務められました。本校との縁は一人娘のゆみ子さんが日本女子工業高校製図デザイン科へ入学したのが始まりでした。ゆみ子さんの入学と同時に後援会長として、卒業後は育蜂会長として平成22年まで38年間の長期にわたり、本校発展のため、尽力されました。
創立者佐藤信校長の建学の精神に共感され、一人娘のゆみ子さんは親元から離れ、入寮し、集団生活を通して厳しく教育されました。
不幸な事に、ゆみ子さんは卒業の翌年19歳の若さで病死されました。"人づくり教育"の本に書かれてありますように、正面の国旗掲揚塔の下に記念の碑が建てられております。その後も変わる事なく、常に校長の人づくり教育に貢献されました。
先生の業績は本校のみならず、郡山市の市会議員の4期を務められ、また24年間にわたり、郡山市消防団本部長として奉仕され、公害が社会問題となった頃には、公害対策特別委員長として美しい郡山街づくりに取り組まれました。その中で力を入れられたのは、逢瀬川にホタルを呼び戻そうと、河川のクリーン作戦"ホタル愛好会会長"としてホタルの飛び交う街づくりに活躍されました。
本校のユネスコ部員も先生と一緒にホタルの幼虫を放流し、夏の夜、逢瀬川にホタルの乱舞する姿を見た事は忘れられません。
伴先生と言えば"大きな声"学校の教職員も気合を入れられ背筋がピンとした事、また、いくつになられても頭の回転は良く、戦争の話は勿論のこと、政治談議、学校運営へのアドバイスと心身共に衰えを見せず、常に前向き人生でした。
"毎日が忙しい"と90歳過ぎてからも、車の運転をし、毎朝剣道の素振りを欠かさず、プールにも通い、詩吟を学び、常に好奇心旺盛の日々でした。100歳のお祝いに県知事からお祝いが送られ、育蜂会でも「白寿を祝う会」を企画し、開催直前、珍しく入院されて、会は流れてしまいました。会員の皆様にとっては残念な事でした。
その後、内輪で温泉好きの先生を招いてお祝い会をした折、ピンクのシャツで来られ、皆を驚かせた事もつい先日の事のようです。
家族には恵まれませんでしたが、多くの方々に慕われ、人々に囲まれておりました。100歳を昨年の秋頃から体調を崩され、入退院を繰り返してきましたが、最後まであの強靭さは衰えることなく、人の世話にもならず、人生を全うされました。
愛用のマフラーを首に、大好きな飛行機に乗って旅立たれました。奥さまと、ゆみ子さんに沢山のお土産話を持ってこれから、また楽しい時間を過ごされることでしょう。本当にお世話になりました。お疲れさまでした。(合掌)
大越 美智 (尚志高校 元教頭)
【ゆみ子の門の碑】
2013.3. 1 更新
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