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国民栄誉賞の松井秀喜は努力の天才だった

 感動的な引退セレモニー&国民栄誉賞表彰式だった。こどもの日。東京ドームが異様な熱気と興奮、涙に包まれた。師とあおぐ元巨人監督の長嶋茂雄さんとともに白いオープンカーに乗り、グラウンド内をフェンスに沿って一周した。国民栄誉賞の表彰式では、長嶋さんの横に並んだ。おそろいの濃紺のスーツにストライプのシャツ、水玉のネクタイ姿で。

 表彰式。病気の後遺症が残る長嶋さんが安倍首相から表彰状を受け取る際、松井さんはさっと寄り添い、サポートした。日本テレビの中継でゲスト解説した徳光さんが涙声で「師弟だなあ」と漏らす。同感である。泣かせるシーンだった。松井さんは国民栄誉賞表彰式に先立ち、引退式でこう、スピーチした。

 「毎日、毎日、ふたりきりで練習に付き合ってくださり、ジャイアンツの4番に必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々が、その後の10年間、アメリカでプレーしたわたしを大きく支えてくれました。そのご恩は生涯、忘れることはありません」

 この気配り、やさしさ......。そういえば、かつてこんなことがあった。4年前の師走。松井さんを東京でインタビューした際、終了時間が予定より遅くなった。松井さんは掃除係のご年配の女性を気遣い、大きな花束をさりげなく女性に渡した。「遅くまでお疲れ様です。これ、もらったものですが、よろしければ」

  松井さんは「努力の天才」だった。小学校3年生の頃から、机の前にはこんなコトバが張られていた。〈努力できることが才能である〉。実際、努力を惜しまなかった。中学、高校時代、寝る前の素振りはまず、休んだことがないという。

 親の育て方か生来の性格か、冷静さを失うことはほとんどない。1992年8月、夏の甲子園大会の明徳義塾(高知)戦で「5打席連続敬遠」をされた時も淡々と一塁に走っていった。オトコが惚れるオトコである。

 同年11月のドラフト会議、巨人監督に復帰した長嶋さんから「あたりくじ」を引かれた。巨人で10年間、大リーグで10年間、プレーした。2009年ワールドシリーズでは3本塁打8打点を記録し、日本人初のMVPに輝いた。ヤンキースのあと、エンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩いた。

 松井さんのスピーチは堂々として、素直な人間性に満ちていた。国民栄誉賞のスピーチではこう、言った。

 「わたしはこの賞をいただき、大変、大変、光栄でありますが、同じくらいの気持ちで恐縮をしております。わたしは王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録をつくれたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません」 松井らしい謙虚なコトバだった。

(進路だより No.8より抜粋)

2013.6.23 更新

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