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尚志高校からのお知らせ

蜂友 第111号より

 4月10日に「蜂友 第111号」が全生徒に配布されましたが、広報委員会委員長 3年普通科 佐藤 若奈 さんが執筆した論説をご紹介します。

 生徒会専門委員会には「行事委員会」「広報委員会」「環境美化委員会」「週番委員会」「図書委員会」「保健委員会」「JRC委員会」「選挙管理委員会」の8つの委員会があります。


オリンピック。それはアスリートにとって夢の舞台である。ロシア・ソチでオリンピックが開催されたことは私たちの記憶に新しい。華やかな舞台、大勢の観客、張りつめた空気。栄誉あるこの舞台に、いったい何人の者が立てたのだろう。おそらく、この舞台を目指した者のほんの一握りだ。メダリストとなれば更に狭き門をくぐる事となる。

その狭き門をくぐり抜けたうちの一人に葛西紀明選手がいる。スキージャンプの選手としては異例と言える40歳を超えてもなお、一線級の成績をマークすることから「レジェンド(生ける伝説)」と国内外から称される葛西選手。そんな彼の人生は波乱に満ちている。両親と姉、妹のいる5人家族の長男として生まれた葛西選手。10歳でジャンプを始め、すぐに才能を発揮。雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部などで優勝を重ね、中学3年次にはスキー大会のテストジャンパーとして注目を浴びた。1992年にはアルベールビルオリンピックに19歳で初出場以来、リレハンメル、長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー、ソチと史上最多計7回の冬季オリンピックに出場した。20年余りも世界のトップクラスで活躍するなど、その強靭な身体能力と精神力は驚くばかりである。

このような輝かしい功績の裏には、多くの困難が隠されていた。1993年には妹が難病の再生不良性貧血になり、一旦克服したものの2013年再発、葛西選手は同シーズン中にも2度病院に駆け付けた。妹はソチオリンピック直前にはLINEで「絶対メダルを取れるから何も心配せずに飛んで」と伝えた。また1997年には母を火災で亡くしている。重度の火傷を負った葛西選手の母。入院中のお母さんは、もう手も握れない位ひどい状態だった。しかい、不調に苦しみ、思うような結果が出せていなかった葛西選手を気にかけ、励ましの手紙を送っていた。その手紙には「今、この時を頑張れ。絶対にお前は世界一になれる。お前がどん底から這い上がって来るのを楽しみに待っているよ。」見る度にものすごく大きな力をもらえるという。葛西選手は二人について「骨髄の病気だった妹や母の辛い思いに比べれば僕の辛さは大したことじゃない。不調に苦しんだ時はそれが自分の負担になるより余計に頑張ろうという気持ちになった」と語る。

何度、不調や失敗という壁に突き当たっても何度でも諦めず挑戦出来たのは、きっと葛西選手の中に母の言葉や妹からの支えがあったからこそだと私は思う。家族と共に苦難を乗り越えてきたからこそ、あんなにも力強く、美しい、皆を感動冴えるジャンプを飛ぶ事が出来る。

私たちにはそれぞれ家族がいる。毎日生活を共にし、一番身近な存在だからこそ、その大切さや大きさに気づいていない事も多い。今日、家庭の絆の希薄化が問題視されている。家にいながら一人でテレビを見たり、インターネットに時間を費やし、家族とコミュニケーションを取らない。そんな経験が少なからず皆さんにもあると思う。しかし、家族はいつでも私たちを支えてくれている事を忘れてはいけない。私たちにはこれからずっと多くの困難が待ち受けているだろう。未来の自分や将来を考えた時、私たちは多くの選択をしなければならない。時に悩み、迷うこともあるだろう。何度立ち止まってしまっても私たちには背中を押してくれる家族がいることに感謝しながら生きていきたい。

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2014.4.11 更新

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