学校法人尚志学園 尚志高等学校〒963-0201 郡山市大槻町字坦ノ腰2番地TEL: 024-951-3500  FAX : 024-962-0208

スク−ルバス路線バス

尚志高校からのお知らせ

2018年度の記事一覧

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部活動情報(演劇部)

6月10日に天皇皇后両陛下が来県される国植樹祭のメインアトラクションに出演します。(福島民報新聞・FTV)


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2018.5.16 更新

部活動情報(サッカー部)

高校サッカーダイジェストに掲載されました。


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2018.5.16 更新

授業参観・学年部会

本日は「進学対策父母の会総会」「授業参観」「尚志学級」「後援会総会」「1・2学年部会」と多くの行事がが行われ、多くの保護者の方々が来校されました。

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2018.5.15 更新

新大学入試 ~現1年生からスタート~

新大学入試(試行調査で高校生が実際に苦戦した問題から見えた傾向と対策) ~現1年生からスタート~(月刊ジュニアエラより)

(1)大学入学共通テストの特徴

・国語と数学で記述式問題を導入
・長い文章や複数の資料を読み解く問題が多い
・高校生の日常生活に身近な題材から出題 
・正しい答えを「すべて選ぶ」解答方法も   
・英語は民間の検定試験を活用

(2)キーワード:学習指導要領

小中高校で教える内容や、各教科の目標を大まかに決める国の基準で、約10年ごとに見直される。大学入学共通テストと連動して改められる新指導要領は、学校に「主体的・対話的で深い学び」ができるよう、授業の改善を求める。小学校が2020年、中学校が2021年に全面実施され、高校は2022年から実施される予定だ。

 グローバル化や人工知能(AI)の開発が進み,未来を予測するのは難しい。そんな社会を生きていくには、さまざまな人と議論して問題を解決する力が必要だ。そう考える文部科学省は、小中高校の教育内容を決める学習指導要領の改訂を進める。さらに「大学入試も変えないと改善は進まない」との意見が強く、共通テストの導入が決まった。「思考力・判断力・表現力」を重視する共通テストの最大の特徴は、国語と数学の記述式問題の導入だ。小6と中3が受ける全国学力調査で知識を活用する力を問うB問題と似ている。

 センター試験は、すべての問題が選択肢のなかから答えを選ぶマークシート方式だ。だが、共通テストの国語では、文章からポイントを抜き出して、決められた字数のマス目に答えを書く問題が出る。数学には、問題を読み解いて数式を使った説明を書き込むものもある。昨年11月には、事前に問題点を見つけようと、英語を除く5教科11科目の試行調査が行われた。約18万人の高校生が参加。資料から情報を抜き出し、それを組み合わせて考える問題で苦戦した生徒が多かった。

 英語の試験も大きく変わる。センター試験は「読む・聞く」の二つの力をみるが、共通テストは「話す・書く」力も評価する。一斉に実施することは無理だとして、民間試験を活用する。想定されているのは、「英検」や「TOEIC」といった試験。高3の4~12月の間に2回まで受験でき、その結果を使う。

 共通テストでは、学んだ知識を使って、実際に生活の場面で考えたり表現したりする力が問われる。複数の資料や長い文章を読み解いて答える力も求められるため、本や新聞を読んだり、学校以外のいろいろな体験をしたりすることも大事になる。

進路だより No.5より

2018.5.15 更新

対策を立て実践「私の進路宣言書」

3学年進路行事(5月1日実施) ~対策を立て実践「私の進路宣言書」~

 平成30年5月1日(火)に3年生を対象に「3学年進路行事」を行いました。この「3学年進路行事」は,進路に対する意識の高揚を図り,具体的な目標を設定し,そのためにどんな対策を行えば良いかを理解し,実践に移せるようになることを目的に実施しました。

1.進路講演会:講師・内藤紗弥花VITA先生(等身大力講座)
(1)等身大力・・・今,ある自分を最大限に活かして,目の前の人を幸せにする力(知る・言う・つかう)
(2)社会が求めていることを知ろう・・・①コミュニケーション能力 ②主体性 ③協調性 ④チャレンジ精神 ⑤誠実性

☆進路を考えなければならないのは分かるけど,先のことは想像できない・・・そんなとき,ヒントとなる考え方! 情報があれば,可能性が変わる。体験が一番のネタになる。(成功も,失敗もすべての体験があなただけの強みになる)

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2.「私の進路宣言書」・・具体的な目標を設定し,そのためにどんな対策をすれば良いかを理解し,実践に移す(今一番自己実現に大切なこと)それを保護者の方,学級担任,学年主任,進路指導部職員,そして,最後に学校長に宣言する。

●進学希望:「進路希望調査」&「私の進路宣言書」
●就職希望:「履歴書の下書き」&「私の進路宣言書」


5月14日(月)学級担任提出締切日
5月16日(水)進路指導部提出締切日

進路だより No.5より

2018.5.14 更新

5月14日〜5月20日の日程

【朝学】

1・2年ベースメント英語、3年進路に向けた学習

14(月)

・平常授業
・3年民間試験・公務員対策準備講座
 SB: ①~⑥16:00 ①②⑤⑥19:00

15(火)

・午前短縮40分授業
・4校時授業参観(臨時時間割)
・進学対策総会、後援会総会、尚志学級
・1・2学年部会、学級懇談会
 SB ①~⑥12:40 郡山駅15:00 ①②⑤⑥19:00

16(水)

・平常授業 基調教育・尚志行  ☆
 SB ①~⑥16:20 ①②⑤⑥19:00

17(木)

・平常授業

18(金)

・体育祭(1年&3年:本校  2年:西部体育館)
・尚志杯準備
 SB (西部体育館発)①~⑥15:40  駅のみ16:30
  (尚志高校発)①~⑥16:00 郡山駅16:50 ①②⑤⑥19:00

19(土)

・尚志杯 <5月26日(土)と入替>

20(日)

・ 14日 
    15:00~15:25 清掃・会場準備    
    15:30~15:35 SHR・国旗降納    
    15:40~16:25 特進7校時


・15日 
    11:30~12:10 4校時 授業参観        
    12:15~12:20 SHR 国旗降納        
    学年部会の場所:2学年...スカイホール、 1学年...第一体育館        
    保護者駐車場:カルチャーパーク宮前・第3駐車場   


・16日
    14:10~14:25  入場        
    14:25~14:45  基調教育        
    14:45~15:10  学級役員認証式・賞状伝達        
    15:10~15:40  尚志行        
    15:40~15:55  退場         
    16:00~16:05  SHR


・日本学生支援機構奨学生説明会 6月6日放課後(予定)           

【スクールバス略記号】
■登校用(月~金曜日)
①系統 本宮・日和田・富久山・うねめ通り方面
②系統 喜久田・富田・八山田方面
③系統 さくら通り、郡山駅経由、うねめ通り方面
④系統 学校発、静御前通り方面
⑤系統 緑ヶ丘・安積永盛方面
⑥系統 泉崎・矢吹・鏡石・須賀川方面

■登校用(第1・3・5土曜日の授業日)・長期休業中(登校指定日)
①系統 本宮・日和田・富久山・うねめ通り方面
②系統 喜久田・富田・八山田方面
⑥系統 泉崎・矢吹・鏡石・須賀川方面
A系統 緑ヶ丘始発、郡山駅発、文化通り方面

■登校用(第2・4土曜日、日曜日、祝日、長期休業中の休業日)
⑥系統 泉崎・矢吹・鏡石・須賀川方面
B系統 本宮・日和田・富久山・郡山駅・うねめ通り方面

■下校用 平日【月~金曜日】
●15:40発...月・水・金曜日 ※課外授業実施日は16:35発に変更
①系統「本宮」方面:学校 → (うねめ通り) → 日和田・ 富久山 → 本宮
②系統「喜久田」方面:学校 → 富田 → 喜久田
変形③系統「郡山駅」方面:学校 → (文化通り) → 郡山駅
変形⑤系統「緑ヶ丘」方面:学校 → (南インター線) → 安積永盛駅 → (4号線) → 郡山駅 → 緑ヶ丘
⑥系統「泉崎・矢吹・鏡石・須賀川」方面:学校 → 須賀川市内 → 鏡石駅 → 矢吹 → 泉崎

●16:00発...月・水・金曜日 ※課外授業実施日は16:35発に変更
変形④系統「郡山駅」方面:学校 → (文化通り) → 郡山駅

●16:15発...火・木曜日
①系統「本宮」方面
②系統「喜久田」方面
変形③・④系統「郡山駅」方面
変形⑤系統「緑ヶ丘」方面
⑥系統「泉崎・矢吹・鏡石・須賀川」方面

●19:00発 月~金曜日(郡山駅下車の人数が多い場合は1系統で対応)
①系統「本宮」方面
②系統「喜久田」方面
変形⑤・⑥系統

●土曜授業日【第1・3・5土曜日】
13:10発
①系統「本宮」方面
②系統「喜久田」方面
A系統「緑ヶ丘」方面
⑥系統「泉崎・矢吹・鏡石・須賀川」方面

●17:00発
①系統「本宮」方面
②系統「喜久田」方面
A系統「緑ヶ丘」方面
⑥系統「泉崎・矢吹・鏡石・須賀川」方面

●休業日【第2・4土曜日・日曜日・祝日】
15:00発
B系統「郡山駅・本宮」
⑥系統「泉崎・矢吹・鏡石・須賀川」方面

2018.5.13 更新

生徒総会・壮行会

5月10日(木)、定例生徒総会と壮行会が行われました。 質問などもある中、前期の計画や昨年度の決算、今年度予算などを審議しました。

また、壮行会では地区大会に参加する部活動へ 学校長・生徒会長・応援団からエールが送られました。

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2018.5.12 更新

第1回 基調教育に向けて

 5月16日(水)に今年度最初の基調教育が行われます。この基調教育では、学園創立者 佐藤 信* >> の『体当たり教育』を教科書の代わりにして、直接 倉又 晴男 校長 >> が全生徒に向き合って行う授業です。

* 藍綬褒章受賞、外務大臣表彰受賞、勲三等瑞宝章受賞、福島県文化功労賞受賞》


 校長が授業を担当する高校は、全国的にも珍しいことですが、これは創立以来55年間続く伝統です。 各々の講話では、3つの建学の精神(尚志必成・即是道場・一瞬即永遠)をもとに「人としての生き方や在り方」や「ものの見方や考え方」を身につけ、社会に出て立派に活躍できる人間に成長して欲しいという願いが込められています。 これも創立以来一貫して実践されてきている「人づくり教育」の一面でもあります。

 以下は、第1回基調教育で取り扱う章です。


親の遺産


 私の友人に、東京で工作機械の工場を経営しているものがある。この男の、人を採用する方針が変わっている。大抵、一流の会社とか銀行では、社員を採用する場合、「両親が健在であること」、「相当の資産を有すること」、「いわゆる毛なみがよいこと」(家柄、学歴、親戚に有力者がいる)などが条件となっている場合が多い。

 ところがこの男は逆に、「親のいないもの」、「資産のないもの」、「学歴のないもの」を優先採用することにしているという。理由を聞いてみると、親が健在でなまじっか財産などある家の子は、ちょっと苦しいことがあるとすぐ親もとに帰ってしまって、長続きしないものが多い。学歴のあるものはすぐそれを鼻にかけて、「こんな仕事やっていられない」というような気をおこす。これに反して、親も財産もないものは、この職場以外に自分の人生はない、ここで頑張って一旗あげてやろうという気力を持ったものが多いし、わがままが出ないからよいという。

 なるほど、最近の青年の一般的傾向として、権利意識は非常に強いが、いっぽう他力に依存する気持もきわめて強い。自分の花嫁にどういう条件の女性がよいかと聞くと、有名な、「家つき」「カーつき」「ババ抜き」という返事がかえってくる。

 ドライな考えといえばそれまでだが、家も自動車も持参してくれるような女性がよいということは、自分が苦労して金をため家もつくろう、自動車も買おうという自立心がない。ことごとく他力依存であり、なるべく苦労はしたくないという消極そのものの考えかたである。

 私は、卒業間近い女生徒たちには、必ず、「他力依存の青年、苦労をいとう青年、独立心のない青年をけっして良人に選んではならない」と教えることにしている。

 昔から、「金持ちの二世に成功者なし」といわれているが、なぜ金持ちの二世が成功しないかというと、親父の遺した財産をへらすまい、あまり冒険しなくても遺産で充分食っていけるからというような考え方がいつもつきまとい、常にに守勢にまわって、積極的に事業を推進するとか、運命を切り拓く気力にかけてくるためである。

 事業と人生は、攻めて攻めて、攻めまくるような人物でなければ成功するものではない。何も持たぬものには守る必要がない。またあとに退くく余地は、まったくないから、前に進み攻める以外に道はない。また、元来、何もないのであるから失う心配はないし、やりようでは全世界をもつかむことができるはずである。

 本当にに子が可愛い親ならば、財産は遺さぬ方がよい。下手にに財産を残してやっても、時勢が変わればゼロになる場合だってある。百町歩の田畑を苦心さんたんして子供に残してやろうとした父親が、終戦後農地解放で二町余だけ残され、ことごとく買収されたときに気がおかしくなったという話があるが、形あるものはいつ、なんどき滅び去るかしれぬし、またその価値がゼロになるか判らぬものである。そういう危険性があり、しかも、その遺産をもらった子が自立心を失い、成功する可能性が少ないとしたら、はじめから財産を遺してやらぬほうがよいではないか。

 それでは、親は子になにも遺さなくてよいのかというと、そうではない。かならず遺さなければならぬものがある。

 その第一は、父母が、こんにちの地位を築いた努力の魂である。私は終戦後台湾から復員してみると、すでに、父はその前の年に亡くなっていた。海外に雄飛して営々築きあげた財産も、敗戦によってことごとく没収されてしまっていた。しかし、私にはかけがえのない財産が残されていた。

 私の父は五反百姓の次男に生まれ赤貧洗うがごとき生活のなかに育った。高等小学校しか出してもらえなかった境遇にあって父は毎夜、むしろを織りつつ独学した。そして二十七才のとき、五反百姓の前途にみきりをつけた父は、誰ひとり頼る人もなく、当時の満州にわたり、たまたま船中で知りあった人の世話で南満州鐵道株式会社に入社した。

「人の一度やることは二度やる、五度やることは十度やる」という負けじ魂で、父は異数の出世をとげた。しかし、当時の南満洲鉄道株式会社にも、東京帝大(現在の東京大学)の学閥『みどり会』が、ばっこ(※跋扈...悪いものがそこに留まり害を及ぼすこと)して、実力があっても学歴のない悲しさに父は常に不遇を託ち、人事異動が発表されるごとに男泣きにないていた。                                

 私が中学生のころ夜中に小用に起きていくと、丹前を頭からかぶってスタンドをつけ、一心に勉強を続けていた父の姿が、いまなお私の脳裏に焼きついている。また、家の床の間に、真っ黒になった早稲田大学講義録(いまの通信教育の教科書)が十七、八冊積み上げられていたことを想い出す。最初は真白な書物であったのであろうが、なん十回か読み返しているうちに手あかでページがそまり、子供心にまっくろな本と印象づけられたものである。私は、東京大学を出たことを、さして誇りとは思わない。

 しかし父親が、「私の果たせなかった夢を、せめておまえだけでも果たしてくれ」と言って、苦しい家計の中から仕送りを続けてくれた、その期待に沿い得たことだけは、せめてもの心の慰めである。また私にできた、ただひとつの親孝行でもあったような気がする。私は、終戦後自分の理想が、さまざまな障害につきあたり、悲嘆、絶望のどん底にあったときも、あの真っ黒な親父の本を思い浮かべると不思議に勇気が湧いた。

「そうだ、努力が足りないんだ。人の二倍、三倍の努力をすればかならず成功できる」と、幾度か自分にいい聞かせた。私の胸に刻まれた真っ黒な講義録、それは今日では幾億円にも代えられぬ尊い遺産となっている。

 親が子に遺すべき第二のものは、教育と技術である。私の学校に入学してくる娘たちのなかにも、家計が苦しく、母親が涙ながらに学費の延納を願い出てくるものがある。

「私はどんなやりくりをしても、田畑を売り払ってでも娘の学費だけは続けてやりたい」という手紙にはしばしば泣かされるが、私は、そういう父親や母親にこう話すのである。

「娘さんの身につけてやった教育や技術は決して滅びるものではありません。今あなた方が失ったものは、娘さんの身体の中で何倍にも、何十倍にもなって蘇ってくるものなのです。物の生命は短いが教育の生命は永遠なのですよ」と。

 私は親が苦しい家計の中からやりくりして送ってくれた学費のおかげで、旧制二高、東大を卒業させてもらった。特に二高在学の三年間に受けた教育は、私の今日の人生を支えてくれているといっても過言ではない。古今に冠絶する青年教育家阿刀田令造先生の教育をうけることが出来ただけでも、これ以上の遺産はないと確信している。

 次に技術といっても、私は願わくば、この技術革新の時代に即応できる工業技術を身につけさせてもらいたいと思う。女の子には、算盤とか洋裁、タイプライターなどが、今までの常識であったが、時代は大きく変わりつつある。電化製品にうずまった家庭生活で、女性もせめて初歩の電気の知識ぐらいは、習い覚えさすべきではなかろうか。昔は「芸が身を助ける」といわれたが、現在は「技術が身を助ける」時代である。

 東京の有名な一電機会社にパートタイムの電子計算機の女性プログラマーが三、四名いる。この女性は、大学を出て二、三年プログラマーとして勤務したが、今は結婚していずれも家庭の主婦となっている。しかし、プログラマーという特殊な技術を持っているため会社のほうでも手放せない。彼女たちは十時ごろ出社して、三時ごろにはその日の仕事をまとめ帰宅する。家事にはほとんど支障を及ぼさず、しかも彼女らの俸給は大の男顔負けの高給である。また、東京都中野区に住む、ある三十八才の主婦は、昔の高等女学校を卒業後、勤務した建築会社で製図の基礎を勉強した。いま彼女は一日四時間程度、建築土木会社からトレースの仕事を下請けして内職をやっている。

「月収五万円をくだることはありません」とは、彼女の告白である。もとより、子にこの技術を学び取る気持がなければ問題外であるが、男女を問わず、その身について生涯滅びることのない技術を遺してやることも、現代の親の責任のひとつではなかろうか。



What Parents Should Leave for Children


    I have a friend who manages a factory of machine tools in Tokyo.  He is unusual in the way he decides to employ his workers.   Most of the leading banks employ their workers under three conditions: "Parents are alive," "having a fortune," and "come from a good family or have a brilliant academic career."

 To the contrary, this man chooses his workers under the following three conditions: "Without parents," "without a fortune," and "without academic career."  

 I asked him why he considers those three points.  According to him, young workers with parents and a fortune tend to go back to their home when they face difficulty in their work, and tend to leave his company soon.  And those with academic careers tend to think, "This is not the job that I should do." And they give up their work.  Those without parents and a fortune, however, have no choice but to keep working.  Moreover, they are highly motivated and do not give up easily.   

 I can really understand this.  These days young men are good at asserting their rights, but they are tend to depend on other people.  For example, when they are asked what they look for in a wife, they answer "with a house," "with a car," and "without a mother."  This reflects the fact that they simply depend on others and they want to face as little difficulty as possible in life.  They are less motivated to make a fortune by themselves.  I always tell my students before graduation, "You mustn't choose a young man as your husband who depends on others and hates difficulty."

    There is a saying: "A son of a rich man never succeeds."  This is because he dares not to take risks in his life for fear of losing the fortune his parents left.  So the son will be rather conservative, and will not challenge something new to carve out his own fortune.  I believe life and business will never be successful without taking the risk to try something new.  If you stop trying new things, you cannot succeed.  A young person without a fortune has nothing to lose, so there is no choice but to keep going.

    Therefore, if you really love your children, you should not leave a fortune for them.  If you do, the fortune will be lost.  For example, a farmer, who wanted to leave his paddy fields for his son, went mad when his fields were bought up by the government under the agrarian reform.  This teaches us, the value of your property may be lost or change in the future.  Also, your fortune might possibly spoil your children.  Considering this, you should not think of leaving your property for your children.  I do not mean to say that you should not leave anything for your children.

 There are some other things that parents must leave for their children.

    First, you have to leave your effort; you need to show the way you have become who you are. Let me tell about my father.  My father died a year before I was demobilized and sent home after the war.  The property that he owned was confiscated because of the war, so no property was left for me.  However, he left me the most precious gift in the world.

    My father was the second son of poor farmers.  Because his family was very poor, he did not receive a good education.  He only graduated from elementary school (under the old system of Japan's education), so he kept learning by himself, weaving straw mats.  At the age of 27, he decided to give up his job as a farmer, and went to Manchuria.  On the ship to Manchuria, he met a man who helped him enter a railroad corporation in Southern Manchuria.

    "Do something twice when others do it once, and ten times when they do it five times."  This was my father's policy.  Because of his great effort, he was promoted very fast in the company. However, his rise in the company was limited by a group of workers who graduated from Tokyo University; he was a good employee, but his poor academic career always prevented him from being promoted.  He cried when he saw personnel changes.

    I still remember that my father was studying hard when I woke up at night.  I also remember there were very old textbooks (transcripts of lectures at Waseda University).  The pages of those books were almost gray because of dirt from his hands, for my father read them as many times as he could.  I graduated from Tokyo University, and I do not think this is meaningful. 

 But my father kept sending me money, and saying, "Please learn as hard as you can at Tokyo University. This is what I couldn't do."  I studied very hard as he told me.  By doing this, I could show my gratitude and devotion to my father.  

 After the war when I faced difficulty and felt despair, I was always encouraged to remember those gray textbooks my father read. Remembering my father's effort, I told myself, "I must make more of an effort.  If I make a greater effort than others, I can do it." My father's old books are the most wonderful gift that he left for me.

    The second thing that parents have to leave for their children is education and technique. Some of my student's parents asked me if they could delay payment of the tuition fee, because they could not afford it. Some mothers say to me crying, "I would like my daughter graduate from this school.  I will do anything I can for her to graduate.  I can sell my land and fields."  I always answer; "Your daughter's education and the technique she is learning at this school will never be lost.  If you lose your property for your daughter, it will be part of your daughter.  The life of property is limited, but the life of education is forever."  
Although my family was poor, my parents sent me money for me to study in high school and at the university.  And I believe that the education I received in high school made me who I am. Nothing is more precious than my experiences learning from Mr. Reizo Atouda, who was an excellent teacher.  

    Let me talk about the techniques that I mentioned above.  I want my students to learn technology to keep up with this world of new innovation.  Girls have long been taught to use the abacus, sewing, or typing, but today they need to learn something different.   

 Our life is surrounded by electrical appliances now, and even girls should have a basic knowledge of electricity.  The old saying, "Learn a trade, for the time will come when you will need it," can be interpreted as "Knowledge of technique will help you" in the current world.  

    I know a few of the female programmers working at a famous electrical company.  They are part-time programmers of electric calculators now, but they had experience working at famous companies as programmers before they quit their jobs after getting married.  Although they are now housewives, the company does not want them to leave, because they have special aptitudes.  They come to work at about 10 o'clock, and leave at 3, after finishing their work for the day.  They never let it interfere with taking care of their homes, and there are well paid.  Another housewife of 38, who is living in Nakano Ward, Tokyo, learned drafting at the company she entered for the first time, and now she accepts tracing jobs from builders.

 She said, "I don't need more than 50,000 yen for my monthly salary." These stories tell you it is important that girls as well as boys should learn the job skills that help them in their lives.  I believe this is one of the things that parents should teach their children.

2018.5.11 更新

部活動情報(自然科学部)

「第4回福島県高等学校理科研究活動講習会」が開催され、県内の高校から209名が参加しました。本校からは自然科学部の15名が参加しました。

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2018.5.10 更新

卒業生講演会(1年 総合的な学習)

卒業生の増戸美貴先生 >> を招いて、当時の学級担任が徹子の部屋風スタイルでインタビューをする形式で、夢の実現をするのに大切なことを教えていただきました。

進路実現に大切なことは、まずは高校生のうちに目的意識を高めることと、進路についてよく調べ知ることが大切だと仰っていました。

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2018.5. 9 更新